出張強盗
「うちはお金なんかないから……」などと言っている場合ではない。一人なら何かあるんじゃないか、襲いやすいんじゃないか……そんな単純な理由でも侵入されることがあるという。なのでどのお年寄りも、女性も男性も一人暮らしは気を付けるに越したことはなさそうである。
記憶では数年前に始まった「出張して買取いたします!」というシステム。買取店か質屋のどこかが始めたのかは定かではないが、文字通り、「店に来なくてもこちらから査定にうかがいます!」ということで人気が出た。着物などを持っていくのはなかなか大変で、貴金属ならいざ知らず、それ以外の大物は、断捨離を始めた高齢者にとっては重労働だ。そんなわけであっというまに全国に広がったのだが……。広がり切った今、弊害が出てきているようだ。
例を挙げると、着物を買い取ってくれると言うので頼んだら、どれもこれも断られて、挙句の果てに「貴金属は無いですか」と聞いてきた、とか。
「もうないよ」と言っても、「出してくれるまで帰れない」と居座り続ける、いわゆる押し売りならぬ「押し買い」の人たちだとか。
どうしようもないのは脅してくるというとんでもないものまであるとのこと。
これは、ちゃんとしている業者と、そうでない悪徳業者の見分けが容易でないということから起きているようだ。
パトロール警官から、「不用品買取とかの訪問、電話やチラシには気を付けてください」と言われたことが記憶に新しい。どうやら強盗団もこういうものを最近出しているらしく、最初はちゃんとした業者を装って「下見」に入り、後日強盗として再来訪するというのが増えていると聞いた。物のありそうな家をあらかじめ下見して……それも合法的に入り込んで目を付けていく。褒めたくはないが、成功率は上がる。
ちなみにパソコンやスマホがあるなら、普通にインターネットで社名と「評判」などと入力すれば、悪評があれば出てくるはずだ。便利なようでいちいち調べないといけない世の中になった。うれしいやら悲しいやら、である。これがお年寄り、携帯やらを持たない世代にはどうにも障壁になる。
これが強盗のねらい目である。年寄りを狙っているのだから年寄りさえ騙せればいいのだ。恐ろしいことである。どうか親御さんが一人暮らしをしている方、自分のためにも暇を見つけては電話をして声を聞いたり、会いに行くだけでいいので顔を見て話をしてほしい。とくに物がある・ないに関わらず、防犯は要チェック。ちゃんと毎日鍵をかけているか、敷地に隙はないか。なんならカメラを設置して見守ってあげてとお願いしたい。年を取って酷い目に遭うなんて、一番辛いと思うのだ。
もしも盗難に遭ってしまった場合、警察に届を出す際、詳細な情報が必要になる。指輪なら、写真、重さ、刻印、鑑別書など。全部一覧にしておいてもいい。もう必要ないのなら、一番高く値段がついた買取店か質屋で処分し、お金に換えて貯金にでもしてしまおう。
実際近所のおばあさんが、大事にしていた指輪を盗難されたと騒いでいたが、認知症を疑われて、警察も受け付けてくれなかったという。悲しい話だ。いずれ老いは誰にでも来るから、他人事と思わず肝に命じておきたい。
弱者をいじめる風潮が本当に聞いていて悲しい。
質屋にくる老人たちは、かわいい孫のためにと、若いころにため込んだ貴金属を正月のお年玉のために換金していくという。こういう甘やかしもいけないんじゃないかなとB氏は言う。自分も爺さんと婆さんには怒鳴られたり叱られたりが多かった。しっかり褒められて、逆にしっかり怒られる経験がないとやっぱり良くないのかもしれない。そして子供をあまり物で釣る大人はいなかった気がする。
でも、今の子たちは自分の頃よりとんでもないいたずらをしない。全体的におとなしいと思う。親も怒る必要があまりないんだろう。
「優しい子」になるのが、なかなか難しい世の中だ。優しすぎても傷が増えるし……。周りも優しい人が多くないと。子育てをしている皆さん、本当にお疲れ様です。こうして悩んでいる皆さんのお子さんなら、きっと立派な人になれるはずです。
何もなくても子供たちから尊敬される爺さんになれるだろうか。
子どもより先に獣医に予防注射に連れて行ったら、嫌われてしまった猫からの信頼を、これから頑張って取り戻そうと思う。
強盗
銀座の高級時計店が襲撃されたというニュースを、私はまだはっきりと覚えている。
あの街は、煌びやかなショーウィンドウと、張り詰めた空気の中に「安全神話」のようなものが漂っていた。
それが、バールを振りかざした数人の若者によって、あっけなく打ち砕かれた。
驚いたのは、あれほどの防犯設備が整っていたにもかかわらず、犯人たちがそれをものともせずに犯行に及んだことだ。
むしろ、あの事件以降、似たような強盗が増えているようにさえ感じる。
警備会社の対応の遅さも露呈し、「守られている」という幻想が、音を立てて崩れていった。
強盗は、だいたい下見に来るという。
カメラの位置、店員の動き、高額商品の配置。
「この品物、気になっちゃって。撮影してもいいですか?」と、客を装ってスマホを向ける者もいる。そんな輩がいるから、撮影禁止の店が増えるのも当然だ。
犯行に使われるのは、店内は強化ガラスのケースが多いためか、バールやハンマー、金づち。冬なら目出し帽をかぶって堂々と入ってくる。
人通りの少ない店が狙われるのが常だが、銀座のような人の波が絶えない場所での犯行には、さすがに驚いた。
実行犯は「闇バイト」で集められた少年グループだという。今も裁判中だろうか。なんとも、世知辛い時代になったものだ。
質屋や買取店では、怪しい客を見分けるための「常識」がある。
たとえば、地元ではないナンバーの車や、レンタカーでの来店。関東なのに関西弁の客。身分証の住所。距離を感じる端々から疑うという常識だ。そこいらの知識は質屋さんは警察並みに履修していると聞く。
特に質預かりは、利息を払って何度も通う必要があるため、遠方の店を選ぶのは不自然極まりない。
キャッシュレスが進んだ今、「出先で金がない」という言い訳も、どこか嘘くさい。
つまり、身分証の住所から遠く離れた地方で質屋を訪れれば、それだけで疑われる可能性がある。通報されることはなくとも、遠くから来た客というだけで、「怪しげな客リスト」に記録され、場合によっては警察に情報提供されることもあるという。
ちなみに、盗品をわざわざ質に入れて預けていき、そのまま流すのを、専門用語で「置き込み」と言うそうだ。他にも色々言い方はあるそうなので、皆さんも質屋に知り合いが出来たら聞いてみると良い。特に得した気分にはならないけれども。
というわけで、県をまたいでお店に通っているそこの貴方。色々理由はあるのだろうが、なるべく近くの店を利用することをお勧めする。そして何かの時に「参考人」として呼ばれたくなければ、行動にはくれぐれも注意した方がいい。そうそう、運転してきたのに免許証を出さない人も、訳ありなのかと勘繰られる元になるそうだ。素直に全部さらけ出して、お金は借りるのが良しである。
強盗が入れば、設置している非常ベルが鳴り響く。
だが、警察や警備会社よりも野次馬の方が早く駆けつけることもある。破壊されたショーケース、奪われた品物、怯える近隣住民。保険に入っていれば損失は補填されるかもしれないが、元に戻すには時間がかかる。
ガラスの修理、警察の事情聴取、スタッフのケア、シフトの再編成……。目に見えない損害の方が、むしろ重い。
盗品は詳細に記録されているため、全国に情報が回る。どの店も盗品は買いたくない。何しろ警察に没収されるのは損しかないのだ。意地でも買いたくないはず。
「遠くの店ならバレない」と思っている犯人がいたとしても、いずれ手が後ろに回る日が来るだろう。
だが、滅多にあることとではないのだが、最も恐ろしいのはスタッフの中に犯人の内通者がいる場合だ。事件当日だけ警備が手薄だったり、警報が切れていたり、カメラの電源が入っていなかったり……。
警察によれば、こうしたケースは証拠が乏しく、検挙が難しいという。
経営者がスタッフに内緒でカメラを設置するしかない。身内を疑うのはつらいが、やむを得ない。なんとも、情けない話ではある。
背任行為の背景には、経済的困窮、職場の緩さ、そして上司や会社への報復感情があるという。
特に金融業に従事するスタッフには、通常の販売員よりも高い手当が必要だ。さもなければ、横領や着服に走るリスクが高まる。販売員は正社員でも、女性の場合年収300万円に届かないことも多い(厚生労働省調べ)。金融業で身内ではない他人を働かせるなら、40代で最低400万円は必要だろう。
ちなみに、買取店の方が質屋よりも給料は高い傾向にある。これは多分、質屋は流質期限という待期期間があるせいかなと思われる。
買取店や質屋には、駐車場から店内、カウンター、さらには見えない場所にまでカメラが設置されている。
そのため、店の近くで事故が起きた場合、警察から映像提供を求められることもある。
コンビニやパチンコ店も同様で、何かあったときには確認してみるといい。
カメラがあっても守ってくれるわけではないので、証拠をつかむのは後にして強盗に出くわしたら、まず逃げることが第一だ。
保険がかかっている以上、命をかけて戦う必要はない。素人が武器を持っている輩に立ち向かおうなどと思わないことだ。逃げるが勝ち。それが、現実的な選択である。
なんでも、プロは戦おうなどとせず、盗んだらさっさと逃げる一択に対し、素人はうろたえた挙句、追っ手を倒そうと思い向かってくる、もしくは倒してから逃げようなどと思う輩がいるそうだ。店が無事でも体を痛めてはこの長い人生、損失の方が多くなる。
特に給料が安いと嘆いている皆さん、結局は他人の店です。さっさと逃げましょうや。
紅茶の国より
今回は、スリランカから来日したある家族の話。
彼らは向こうで茶園を経営していたが、政治的な混乱もあり、日本へ渡ることを決意したという。大家族で、一人あたりおよそ50万円を5~6人で借りにきた。そんなにお金がかかるものなのかと不思議に思いながらも、持参した貴金属を確認しつつ貸し出したそうだ。
スリランカ人に限ったことではないのかもしれないが、彼らの名前はとても長い。質札に書くのが大変なので、店の都合で一部を省略させてもらったという。
以前、親日家のスリランカ人と日本語で話したことがある。彼によれば、スリランカの名前は、家系・出身地・父の名・個人名・姓を、星の導きに従って組み合わせるという。血と土地と宇宙の調和を映す構造なのだそうだ。
名前の冒頭には、家系や出身地を示す言葉が置かれる。 たとえば「パッレワッテ」や「ガマラララゲ」など。それは地名であり、家の名でもある。 この者はどこから来たのか。どの家に連なるのか、名前でそれがわかるのだそうだ。
スリランカでは、子どもが生まれると占星術師に命名を依頼することが多い。生まれた時刻、場所、日付をもとにホロスコープが作られ、星の配置からその子にとって吉とされる「音」や「文字」が選ばれる。
多くの名前には父親の名が含まれている。それは敬意であり、継承の証でもある。父のほかに、尊敬する親戚の名が入ることもあるそうだ。
日本でも、かつては偉いお坊さんに名付けてもらうことがあった。スリランカでは、占星術が今も日常的に活用されており、有名な占星術師はとても大切にされている。
名前の由来だけでも十分に興味深いが、さて、そんな彼らにお金を貸したB氏は、「本当に返せるのだろうか」と少し不安に思っていた。案の定、「少々待ってほしい」との連絡が入った。
当時、スリランカは財政破綻寸前で政情も不安定。国外への資金持ち出しに制限がかかってしまったという。オーナーに相談したところ、「まあ、待ってやれ」とのことで、2~3か月待つことに。その後、彼らはギリギリ帰国して、なんとか受け出していった。茶園を手放して売却し、資金を作ったのだが、政府の許可がなかなか下りず、苦労したそうだ。
農園にいた人たちだから、農業の手伝いでもしているのだろうか?そんなふうに思っていたB氏のもとに、再び質入れの申し入れがあった。
今度は一族の息子さん2人が来店。お愛想で「お元気でしたか」と声をかけると、インド映画に出てきそうな、歯が真っ白な美丈夫たちはにっこりと笑い、「工場を始めて、だいぶうまくいっています。拡大しようと思っています」と流ちょうな日本語で答えてくれた。
海を越え、知らない土地に全財産を持って飛び込む。その思い切りの良さに、B氏は自分と比べて少し凹んでしまったという。
でも、私は思うのだ。人は人、自分は自分。嫉妬をする人は成長すると聞くけれど、そんなに疲れる人生はごめんだ。マイペースが一番だ。
日本に生まれて、戦争もなく、なんとか飯も食えている。風呂にも毎日入れるし、住むところもある。特に困っていることはないのだから、悲しむことはないのではないか。
スリランカの人たちにしたって、好きで国を出る人はいないだろう。命の危険があるからこそ、知らない土地に飛び込むしかなかったのだ。生きるために。
凹めるのは、平和の証拠だ。頑張っていないわけじゃない。体が丈夫なら、いくらでも好きなことを、今からでも死ぬ気でやればいい。
正論を言われても、凹んでいるときはただ耳に痛いだけ。だから、凹むときはどんどん凹めばいい。中学生のときの恩師が言っていた。「底までいけば、あとは上がるしかない」と。何事にも限界があるのだ。
外から来た人たちは、いろんな風を運んできてくれる。この出会いも、気づきも、小さな嫉妬ですら、平和があってこそのものだ。
たんたんと生きていてつまらないと思っているあなたが、この平和の一端を守っている。卑下することなど、なにもない。胸を張っていこうではないか。
ロシアのダンサー
ポールダンサーのヤスミナ(仮名)さんは、20代のときに出国して来日し、今や全国を渡り歩くダンサーだという。ロシア出身。長い髪と、ダンサー特有の無駄のない肢体で、いつも金を買いに来ては、たまに預けていく。
ウクライナもそうだが、オリエンタルな面持ちのロシア美人で、高身長。ショーは見たことがないが、ただそこにいるだけで絵になるという。もう初老だそうだが、見た目の年齢が若すぎるとB氏は語っていた。見てみたいものだ。
北欧の金細工はアジアのものとはまた趣が異なるという。亀や蛇が好まれるアジアに対し、北欧では鳥や魚、鹿などがモチーフに多いらしい。可愛らしいので、今どきの若い日本人女性にも人気だそうな。
日本語は長くいる割にはまだまだで、日本人のパートナーはいないようだ。子どもでもいれば、日本語は話さずにはいられないので、上達するのかもしれない。そんなヤスミナさんが売っていくものには、いろいろな品があったが、印象に残っているのは、ものすごく大きな金のロザリオネックレスだったという。
「どう見ても男性しかつけられないサイズだったので、親御さんのかと思ったんですが……まあ、お客さんの事情に踏み込むのはいけないですからね。すみやかに処理させていただきました。」
ヤスミナさんは高給取りだったようで、タワマン住まい。送迎で質屋に来ることも珍しくなかったが、高給取りなのになぜ借金を?とも思う。B氏によれば、
「好みの男性に貢いでいたようですけど、貯金は使いたくないようで、チップ代わりにもらったものをお金にして、それを彼に渡していたようですね。」
とのこと。計画的にヒモを飼っていたようだ。
そんなヤスミナさんの使い走りらしい男性が、ある時やってきて、代理で全ての品物を清算して受け出していった。いろいろな人がいるのが世の常ではあるが、B氏は少々心配したという。中には、質入れした人間を脅してサインをさせ、その上、受け出す金も巻き上げたうえで、品物を持ち去る者もいなくはない。彼女の品は高級品ばかり。けれど代理人にサインもあるので、そのまま品物は出されていった。
それからしばらくして、2年ほど姿を見せなかったヤスミナさんが、身なりもスマートな40〜50代の日本人男性と、店に子連れで入ってきたという。
華麗なる転身……というのも、「40代で妊娠していたとは思えない体のライン!」と女性社員が驚愕していたのを思い出すとか(身分証を見ているので、店員には歳がバレている)。
ヤスミナさんは結婚して、もう住所が変わっていた。かわいい赤ちゃんを授かり、優しそうな男性とすっかり落ち着く家庭を築いていたのようだ。この時は金のブローチをお買い上げだったとか。
前の彼?のことは、ここだけの秘密である。
ところで、ふと気になってB氏に尋ねてみた。彼女がポールダンサーだと、どうしてわかったのかと。ダンサーといってもいろいろあるはずだ。
「彼女、支払いは全部千円札なんですよ。たぶんチップじゃないですかね。日本でチップ文化のあるダンサーって、あまりいないですし。」
なるほど、と納得する。そして、もうひとつの手がかりもあった。職業欄に書かれていた「пилон」という単語。調べてみれば、それはロシア語で「ポール」を意味する言葉だった。つまり、特に深読みするような話ではなかった。ただ、そう書かれていただけのことだった。
どんな紆余曲折を経て日本へと渡り、ダンサーになって踊ってきたのだろう。国に帰ることはなかったのかどうなのか。けれど、私たちに同情するような隙を、彼女たちは与えてはくれない。顔を向けるのは前だけ。強くはないのだろうが、折れない心はとても美しい。
それにくらべて、男は折れやすいよなあ……と、腕の中の女子猫をなでながら、独りごちた。
たくましいタイ女性
B氏の店は、A氏の店よりも良い意味でごった返していたようで、話のネタも尽きない。
今回は、そんな中で聞いた、たくましいタイの女性の話をしよう。
名前はマレ(仮名)さん。日本でキャバクラを3店舗経営する、やり手の経営者だ。
「さぞかし美人なんでしょう?」と聞くと、「ううん……某力士に似ている」との返答。
意外と、そうでもない方のほうが経営手腕に長けているのかもしれない。
マレさんは18歳のときに来日し、日本人男性と結婚してのち、日本国籍を手に入れた。
夫の手助けを得ながら店を増やし、今ではママ業をチーママに任せて、タイでも日本風の店を3店舗展開しているという。
「旦那さんも老後が安泰でなによりですね」と感心していたら、
「マレさん、タイに新しい夫を作ったらしいですよ」と聞かされ、思わず驚いてしまった。
商売も順調、豪邸も建てた。けれど、タイに一緒に来てくれない日本人の夫をどうやら見限る……らしい。
「質屋にだけ言っていったってことです。旦那さんは知りません」
……それって、なかなか大変な話ではないか。
ちなみにこの話は、だいぶ前に聞いたものをこうして書き起こしている。その時はどうなるのかなと思っていたが……。再びB氏に会った時にはすでに決着がついていた。
彼女が日本に来たのは18歳のとき。旦那さんはそのときすでに40代。
今や介護が必要な年齢となった夫を見捨てることに、マレさんは長く迷っていたという。世話になった恩もあるし、長年連れ添った情もある。
けれど最終的には、日本に建てた家を手切れ金代わりに夫に渡し、本拠地をタイに移したそうだ。
日本に残した店は、若いチーママたちにそこそこの金額で譲渡。
今ではメイド付きの屋敷で、新しい夫と新生活を送っているという。
そのたくましさには、ただただ頭が下がる。
マレさんは、いつもスタッフの嬢たちを引き連れてB氏の店に来ていた。
彼女が来ると、店は一気に賑やかになる。
嬢の誕生日には、必ずその子の欲しいものを買ってあげていたという。
部下をかわいがり、惜しみなく与えるというのは、思っていてもなかなかできることではない。
マレさんが苦労人であるというのは、チーママの一人からB氏が耳にした話だ。
貧しい農村部から日本に渡れば、タイの年収の数倍を短期間で稼ぐことができる。
「何としてでも成功する」と決意し、一心不乱に努力したという。
日本語を習得したあと、「仕事の幅が広がるから」と英語も学び、
さらに「韓国人の嬢と話したいから」と韓国語も習得。
基本タイ語・日本語・英語の3か国語に加え、他の言語もそうして少しずつ身につけたという。
とにかく、努力の人なのだ。
だからこそ、事業を拡大し、念願だったタイでの店舗展開も実現できた。
本当に、強い女性である。
B氏が店を辞めたあと、マレさんがタイで入院したという話を耳にした。
精力的に動ける人ほど、普段のメンテナンスを怠りがちだ。
「元気になるといいですね」と、B氏は案じていた。
マレさんも、たかが顔なじみの日本人の青年が、自分の体を心配しているなどとは思っていないだろう。
「袖すりあうも他生の縁」という文化は、日本人だけのものなのだろうか。
一人ぼっちになった旦那さんも、入院してしまったマレさんも、
どうか元気な毎日を送っていますように。
かわいいフィリピーナ
質屋には、常連としてたびたび訪れる外国人がいる。
中でも印象深いのが、フィリピンから出稼ぎで来日した女性たちだ。
多くは日本人男性と結婚し、苗字を得て、妻として母として、日々をたくましく生きている。
彼女たちの母国では、銀行への信用が薄いため、「金(きん)」という物に信頼を託す文化が根付いている。
金のアクセサリーは、いざというときの備えであり、資産であり、そして何より「愛の証」でもある。
だからこそ、金のアイテムに対するこだわりは強い。重さは適正か、デザインは洗練されているか。とりわけ、娘の誕生日には必ず金のアクセサリーを贈るという。
フィリピンは、世界の中でも家族を何より大切にする国として知られている。
結婚後も舅や姑に誠実に尽くし、その姿勢は日本の農村部で「理想の嫁」と評されてきた。今では都市部でも、まるで準日本人のように自然に溶け込んでいる。
彼女たちは中古品かどうかはほとんど気にしない。
気にするのは金の「目方」だけ。重ければ重いほど、愛の重さとなる。
だからフィリピンの女性に贈り物をするなら、中古というのはそんなに気にせずに、そこそこ重いものを選ぶのがよい。
最近は物価の上昇などもあって、大事な金を売りに来るフィリピンの方々が増えたそうだ。
ただ、東南アジアでは銅が混ざった金が多く、しかも刻印がないものも多いため、査定時にショックを受ける人も少なくないという。ちゃんとしてればK22やK21.6など、K18よりも高額になるのが通常なのだが、たまにすっかり贋金という物もある。
「これ、シンガポールで買ったのに!」としょんぼりしながらも、
「ま、しょうがないよね」とニコッと笑って切り替える明るさがある。
そんな姿に、こちらが励まされることもある。
B氏から、そんなフィリピンの純愛話を聞いた。
日本人の塗装業をしていた和さん(仮名)は、10代の頃、
フィリピンから来た新人ホステスのリリアナさん(仮名)と出会った。
店で顔を合わせるうちに親しくなり、やがて恋人となり、家庭を築いた。
お互い、家族との縁が薄かったそうだ。
だからこそ、二人は深く結びつき、子どもにも恵まれた。
3人の子どもに囲まれ、仲睦まじく暮らしていたが、一番上の子が高校を卒業するころ、和さんは現場で倒れてしまった。
塗装業に多いとされる肝臓がん。
医者には「もって2年」と言われたが、和さんは根性で5年延ばした。
リリアナさんの献身もあったのだろう。
そして、長男が大学を卒業し、就職するのを見届けるように、和さんは亡くなった。
最期の言葉は、「リリアナ、ありがとう」だったという。
生前から、支払いが足りない時などに質屋を訪れていたリリアナさんは、葬儀が無事済んだことを、わざわざ店に報告しに来てくれた。
ふっくらしていた頬は少し痩せていたが、気丈にふるまっていたのを、B氏は今も覚えているという。
子どもたちの進学や卒業のたびにお金が必要で、よく店に通っていたから、
「なんとなく親戚のような気持ちになった」とB氏は語る。
そのうちの一人は特に優秀で、今では海外の大学に勤務しているそうだ。
「和さんは元気な頃、ちょっとギャンブルに手を出してリリアナさんに怒られていたりしてね。でも、子どもが学校で褒められたって聞くと、嬉しそうに店で自慢してましたよ。日本人より日本人っぽいリリアナさんが、『パパ! 恥ずかしいでしょ!』ってたしなめていたりして」
今どうしているのかと尋ねると、リリアナさんもその子どものいる海外の大学の方に一緒に行っているという。幸せな老後になりそうで、よかった。……いや、まだ「老後」というには早いかもしれないけれど。
どこの国の人であれ、仲良きことは美しきかな。
いまやハーフの人も珍しくない。
どちらの国のことも誇りに思って、楽しんで生きてほしいと思う。
私の身近なハーフは、今のところ愛猫くらいだけれど。
いただかれオヤジ
「いただき女子」という、なかなかに強烈なワードが話題になったのを覚えている方も多いだろう。
「好きな人に貢ぎたい」という純粋な気持ちを利用された。そんな構図で報じられた事件だった。
たしかに、本命の男がいるのに、別の男性に結婚を匂わせて高額な贈り物を引き出すのは、詐欺的だ。よくある結婚詐欺の手口と似ているし、法的にも問題があるのだろう。
けれど、正直に言って、私はいまだに少し違和感を拭えない。
なにが、どこまで、どのように悪かったのだろうか。
もちろん、騙された側の男性に同情の余地がないとは言わない。
だが、「騙された」と声高に叫ぶその姿に、どこか器の小ささを感じてしまうのも事実だ。金が惜しいなら、最初から度を超えた贈り物などしなければいい。
「クレクレ」に下心満載で応じてしまった自分ののぼせぶりは棚に上げて、
「相手に要求されたから」と人のせいにするのは、大人の男としてどうなのだろう。
惚れてたんだから、いいじゃないか。
推し活が終わった。それで楽しかったなら、それでよかったじゃないか。
一時気分を良くしてくれた、高いセミナー料金だったと思えばいい。
女性に騙されてしまった男。
騙された本人には黒歴史になるだろうが、少なくとも女性を騙す男よりは、だんぜんかっこいいと思う。
そんな話をしていたら、B氏がぽつりと言った。
「いただき女子って、昔からいましたよね」
私は首をかしげたが、B氏は続ける。
「ホステスがたくさんの客に同じものをねだって、1つだけ残してあとは換金するって話、聞いたことありませんか? 1つだけ残すのは、ちゃんと持ってるってアピールで」
ああ、たしかにそんな話を耳にしたことがある。
当時は買取専門店なんてなかったから、換金場所は質屋だったという。
バブル期、夜の街に繰り出す男たちは羽振りがよく、ホステスへの貢物も日常茶飯事だった。
B氏の店には、そんな時代を生き抜いた「元祖いただき女子」ともいえる女性たちが、今も数名いるという。
彼女たちはもう孫もいるような年齢だが、身だしなみに気を使い、可愛らしい言動で、男性にことのほかモテる。お金のある独身男性に寄り添い、世話を焼き、「いつもお世話になってるから」とプレゼントをもらう。
換金場所は、今もB氏の店だ。
彼女たちは、誰にも恨まれない。
むしろ、男性たちと楽しく過ごし、女性店員にも好かれているという。
人間、最後に残るのはコミュニケーション能力なのかもしれない。
「かわいいおばあちゃん」も、「かっこいいお爺さん」も、結局は人に好かれる力を持っている。
「いただき女子」という言葉に過剰反応する前に、
自分が何を求めていたのか、何を差し出したのか、
そしてその時間が本当に「損」だったのかを、少しだけ立ち止まって考えてみてもいいのではないか。
人はみな、誰かに何かを「いただき」、そして「与えて」生きているのだから。